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7月ブログ

 蝉がシャーシャー鳴いて夏本番。暑さが凶器になりそうである。
さて7月のブログは・・・と思っていたところ突然ですが少しの間入院することになりまして・・・
病院は通常どおりですのでご心配なく。
僕も退院後はまた通常通り診療する予定ですので宜しくお願いいたします。

エントランスのお花が変わりました

 7月も始まったばかりなのに暑くて驚きますね。毎年、こんな感じになっていくのでしょうか~?
エントランスのお花を夏バージョンに変えました。涼しく感じていただけると嬉しいのですが…。
 
 色には寒色と暖色、中間色があります。夏は涼しい感じがする青などを色んなところに使うと良いですよ。カーテンやシーツなど。でも、食卓などでは食欲不振になるのでご使用には注意が必要です。食卓では、暖色のオレンジ、黄色などが良いですよ。
参考にしてみてください。
 
暑いので、くれぐれも体調には気を付けてお過ごし下さい。
 

思い出のアイランド

 今年は遅い梅雨入りだったが、いまのところ地味に降ってる。最近は毎年国内のどこかで大雨,
洪水が起こっていたので、このまま地味な感じで終わって欲しいものである。
 
コロナ感染も県内はいまのところ落ち着いてきていて立ち合い分娩、マムクラブも安定して開催できているのでみなさんにも喜ばれていてホッとする。もう少ししたら妊婦健診とかの付き添いとかも戻したいが・・・もうちょっと様子を見ながらそろりそろりと戻します。
 
最近、地元紙などで神原小学校の冒険島が解体されると聞いた。
 
 知った時の率直な気持ちは「あ〜、ついにか」である。
 
 思い起こせば自分が小学校に入学した時には既にあって(1967年建設だそうで生まれる前からあったのか・・・)正面玄関前に聳え立つ姿とその存在感はなかなかのものである。市内でももうこんな大きな設備はなかったんじゃないだろうか。
 
 卒業後も学校前を通る時は「あ、あるな」って感じでそこにあることが当たり前みたいだったが、その後も大学に入り、医師になりと県外へ出たあとも時々前を通ると、やっぱり全く変わらない姿でずっとあるので毎回「ええ!まだあるんだ」と思っていた。
なにせ僕の卒業アルバムの集合写真は冒険島の前で撮っているが全然変わっていない!
老朽化もしていただろうに変わらないにも程がある。(いやいや丁寧に使ってきたということか)
 
自分の小学校時代の学校での思い出は冒険島にあると言っても過言ではない。教室の思い出より冒険島のことの方が鮮明に覚えている(ちゃんと勉強してたのか?)
卒業以来島内に入っていないが冒険島のどこに何があるかは大体覚えている。
 
 島の中は小学生にはかなり広かったのでこのエリア内限定で鬼ごっこしたり助け鬼したりで走り回った。というのも島だけあって中央が盛り上がっていて見通しが効かないのが逆によかったし回遊もしやすかった。
 
 四隅の大きな土管の中に隠れ隙を見て土管を渡り歩く。正門側の木のところでくるっと回って身をかわす。半分埋め込んだ古タイヤの上を渡り、滑り台横の階段を駆け上がり、滑り台が使えるなら滑りたいが、大概詰まっていたし下から登ってくる子が当たり前にいたので(今やっちゃダメですよ〜)その時は横の吊り橋を渡って反対側の塔から一気に飛び降りる。(やっちゃダメですよ〜)
吊り橋のサビで手を真っ赤にしながら真冬でもみんな半ズボン(その当時はそれ一択で長ズボンでも履こうもんならカッコつけてるとか言われたもんだ)で走り回ってたなあ。
 
跡地は体育館になるそうだがともかくお疲れ様でした。冒険島は、解体されてもみんなの記憶にはずっと残ると思うな。

4月に書くべきブログ

 はっと気がつくと5月ももう後半。あれ?ブログまだ書いてなかった。
 
 そういえば先月は新年度で病院も9周年だったが結局今年も宴会はコロナで流れてしまい盛り上がりには欠ける。来年こそは開院10周年になるので盛大に・・・(できるといいな〜)
 
 そしてさらにそういえば僕はこの4月で医師になって30周年だった。(先月は急に「名前」についての話を思い立って勢いで書いて失念していたのである)
 まあ、30年経ったからといって自分が急に変わるわけでもなし、これまで色々積み重ねてきた通過点というだけなのでそんなに驚いたり感動するわけでもないなあ。
 
 そもそもなんで産婦人科医になったか。
 かっこいいきっかけでもあれば良いのだが・・・実はない。(今の医師になっていく人たちにはしっかりした動機があったりしてすごいと思う)
 ただし、親とかから医師になれと言われたわけでもない。父親からは「医者とかなるなよ、特に産婦人科はぶちエライからやめた方がええぞ」と言われ続けたが、なぜか医学部を受けていた。何科になるかも手術は好きなので外科系になりたいと思ってはいたが産婦人科になったのもなんとなくだった気がする。(そんなことでいいのか!)
 
 やりがいとか面白さはいろいろ大変な目に遭いながら徐々についてきたところはあるが今は産婦人科でよかったと思っている。
 そして宇部に帰ってきて良かったなって思う。いろいろ苦労して得た経験、知識、技術を宇部で還元できるのは嬉しい。 
 ちょっと帰れないかもしれないと思った時期もあったが、偶然継承のお話しをいただいてからとんとん拍子に決まった。その後宇部周辺の開業医もどんどん減ってきてしまい、今はうちを入れて2軒のみ。その意味でも帰ってきていてよかった。
 
 上手くいえないけど30年も経つと診療がどんどん自然体になっていく。(病気もしてるので無理をしないってのもあると思うけど)医療していると言うより市内に数多くある色々な仕事の一つであり、宇部市民の日常生活の一部に産婦人科が溶け込んでいる感じがしてとても良い。
 
 患者さんとの年齢差はだんだん大きくなり、どんどん子供たちの歳に近くなっており、自分の娘を診察するようである。(そこまででもないが頑張っている姿を見ると応援してあげたくなる気持ちは親心に近いかな)
 でも患者さんとは対等と思っているから下に見るような対応はしたくないので同じ目線での診療は心掛けている。
 まあ今後もこんな感じでやっていければいいな。頑張ろうっと。

名前

 今日も退院診察をして「産後の経過も順調ですよ。退院OKです」
診察終わりに患者さんにプレゼント。手形、足形、顔写真そして名前が決まっていれば命名用紙をお渡しする。僕もその時初めて名前を確認。
 さて我が子にどんな名前を付けたのかな?
 
 なるほど、この名前はお父さんの名前から一字取ったんだ
 ああ、今の季節だからこの名前
 上のお子さん達の名前からの繋がりでつけたんだな
 流行りの名前、可愛い名前、かっこいい名前・・・名前はそれはもう百花繚乱といった感じ。
 そりゃこれでこの子は一生この名前で呼ばれるんだから気合も入ろうというもの。
 みんな一生懸命考えた跡が忍ばれる。だからみんないいお名前。
 みんなからたくさん名前を呼んでもらって元気に育っておくれ。のちに著名人として名前が出たときに「あっ!この名前は」ってなことになったらうれしい。
 
 自分の子供達の命名の時もだいぶ考えた。画数とか口に出した時の語感とか読み間違えしないようになどあれこれ考えて最高の名前をつけたつもりだ。
 もちろん名前だけ良くしたからって当人の中身が良くなければってこともわかってる。
 ただ適当な名前つけてよくない人生を歩まれ「あ〜、もっといい名前つけとけばよかった」
と後悔はしたくないしね、ってことを父親から言われたことがあって非常に納得したので自分もそうした。
 あとは各々自分の力を出し切れるよう頑張っておくれ。
 
 そういう自分も、良い名前をつけてもらった。
苗字より名前が目立つのでずっと友達から「龍之介、りゅうのすけ」と「下の名前で呼ばれるから後輩から「ずっとあだ名かと思ってました」とか「苗字なんでしたっけ」とか言われた。
 自分の年代ではなかなか珍しい名前だったが最近割と見る。というかどうやら同姓同名が結構いるようなのである。
 ネットで名前を検索するとミュージシャンとか学生とかスポーツ選手とかどんどん出てくる。
 そういえば、何かの会合で名刺交換した時に「同姓同名の知り合いがいます」と言われたこともある。
 じつは僕の名前の画数がかなり良いのである。苗字1字に名前3文字で収まりも良いし付けやすいから多いのかな。
 同姓同名同士でどこかで一同に介してみても面白いか?
 
 先日芥川龍之介の手紙が見つかって自分の名前を間違っていると相手に怒っている内容で、その時の間違いは「介」が「助」になってたらしい
 
わかるわ〜
 
これは僕もよく間違えられるんだよな〜。
 
 あと「龍」が「竜」だったり「之」が「ノ」だったり、稀に読みでも「たつのすけ・・さんですか?」ってなんでそんな読み方するかな、なんてのもある。
 
 でも祖父の間違えが一番すごくて子供の頃遊びに行くといつも「おお、龍太郎ようきたの」と呼ばれてた。すごく可愛がられていたし、いちいち間違いを指摘するのもなんだったのでずっとそのまま「うん、うん」と返事してた。多分亡くなるまでずっと龍太郎と思われていたと思う。
 
 これからも皆さんどんな名前をつけて来られるか楽しみだ。

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