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7月ブログ

 蝉がシャーシャー鳴いて夏本番。暑さが凶器になりそうである。
さて7月のブログは・・・と思っていたところ突然ですが少しの間入院することになりまして・・・
病院は通常どおりですのでご心配なく。
僕も退院後はまた通常通り診療する予定ですので宜しくお願いいたします。

思い出のアイランド

 今年は遅い梅雨入りだったが、いまのところ地味に降ってる。最近は毎年国内のどこかで大雨,
洪水が起こっていたので、このまま地味な感じで終わって欲しいものである。
 
コロナ感染も県内はいまのところ落ち着いてきていて立ち合い分娩、マムクラブも安定して開催できているのでみなさんにも喜ばれていてホッとする。もう少ししたら妊婦健診とかの付き添いとかも戻したいが・・・もうちょっと様子を見ながらそろりそろりと戻します。
 
最近、地元紙などで神原小学校の冒険島が解体されると聞いた。
 
 知った時の率直な気持ちは「あ〜、ついにか」である。
 
 思い起こせば自分が小学校に入学した時には既にあって(1967年建設だそうで生まれる前からあったのか・・・)正面玄関前に聳え立つ姿とその存在感はなかなかのものである。市内でももうこんな大きな設備はなかったんじゃないだろうか。
 
 卒業後も学校前を通る時は「あ、あるな」って感じでそこにあることが当たり前みたいだったが、その後も大学に入り、医師になりと県外へ出たあとも時々前を通ると、やっぱり全く変わらない姿でずっとあるので毎回「ええ!まだあるんだ」と思っていた。
なにせ僕の卒業アルバムの集合写真は冒険島の前で撮っているが全然変わっていない!
老朽化もしていただろうに変わらないにも程がある。(いやいや丁寧に使ってきたということか)
 
自分の小学校時代の学校での思い出は冒険島にあると言っても過言ではない。教室の思い出より冒険島のことの方が鮮明に覚えている(ちゃんと勉強してたのか?)
卒業以来島内に入っていないが冒険島のどこに何があるかは大体覚えている。
 
 島の中は小学生にはかなり広かったのでこのエリア内限定で鬼ごっこしたり助け鬼したりで走り回った。というのも島だけあって中央が盛り上がっていて見通しが効かないのが逆によかったし回遊もしやすかった。
 
 四隅の大きな土管の中に隠れ隙を見て土管を渡り歩く。正門側の木のところでくるっと回って身をかわす。半分埋め込んだ古タイヤの上を渡り、滑り台横の階段を駆け上がり、滑り台が使えるなら滑りたいが、大概詰まっていたし下から登ってくる子が当たり前にいたので(今やっちゃダメですよ〜)その時は横の吊り橋を渡って反対側の塔から一気に飛び降りる。(やっちゃダメですよ〜)
吊り橋のサビで手を真っ赤にしながら真冬でもみんな半ズボン(その当時はそれ一択で長ズボンでも履こうもんならカッコつけてるとか言われたもんだ)で走り回ってたなあ。
 
跡地は体育館になるそうだがともかくお疲れ様でした。冒険島は、解体されてもみんなの記憶にはずっと残ると思うな。

4月に書くべきブログ

 はっと気がつくと5月ももう後半。あれ?ブログまだ書いてなかった。
 
 そういえば先月は新年度で病院も9周年だったが結局今年も宴会はコロナで流れてしまい盛り上がりには欠ける。来年こそは開院10周年になるので盛大に・・・(できるといいな〜)
 
 そしてさらにそういえば僕はこの4月で医師になって30周年だった。(先月は急に「名前」についての話を思い立って勢いで書いて失念していたのである)
 まあ、30年経ったからといって自分が急に変わるわけでもなし、これまで色々積み重ねてきた通過点というだけなのでそんなに驚いたり感動するわけでもないなあ。
 
 そもそもなんで産婦人科医になったか。
 かっこいいきっかけでもあれば良いのだが・・・実はない。(今の医師になっていく人たちにはしっかりした動機があったりしてすごいと思う)
 ただし、親とかから医師になれと言われたわけでもない。父親からは「医者とかなるなよ、特に産婦人科はぶちエライからやめた方がええぞ」と言われ続けたが、なぜか医学部を受けていた。何科になるかも手術は好きなので外科系になりたいと思ってはいたが産婦人科になったのもなんとなくだった気がする。(そんなことでいいのか!)
 
 やりがいとか面白さはいろいろ大変な目に遭いながら徐々についてきたところはあるが今は産婦人科でよかったと思っている。
 そして宇部に帰ってきて良かったなって思う。いろいろ苦労して得た経験、知識、技術を宇部で還元できるのは嬉しい。 
 ちょっと帰れないかもしれないと思った時期もあったが、偶然継承のお話しをいただいてからとんとん拍子に決まった。その後宇部周辺の開業医もどんどん減ってきてしまい、今はうちを入れて2軒のみ。その意味でも帰ってきていてよかった。
 
 上手くいえないけど30年も経つと診療がどんどん自然体になっていく。(病気もしてるので無理をしないってのもあると思うけど)医療していると言うより市内に数多くある色々な仕事の一つであり、宇部市民の日常生活の一部に産婦人科が溶け込んでいる感じがしてとても良い。
 
 患者さんとの年齢差はだんだん大きくなり、どんどん子供たちの歳に近くなっており、自分の娘を診察するようである。(そこまででもないが頑張っている姿を見ると応援してあげたくなる気持ちは親心に近いかな)
 でも患者さんとは対等と思っているから下に見るような対応はしたくないので同じ目線での診療は心掛けている。
 まあ今後もこんな感じでやっていければいいな。頑張ろうっと。

名前

 今日も退院診察をして「産後の経過も順調ですよ。退院OKです」
診察終わりに患者さんにプレゼント。手形、足形、顔写真そして名前が決まっていれば命名用紙をお渡しする。僕もその時初めて名前を確認。
 さて我が子にどんな名前を付けたのかな?
 
 なるほど、この名前はお父さんの名前から一字取ったんだ
 ああ、今の季節だからこの名前
 上のお子さん達の名前からの繋がりでつけたんだな
 流行りの名前、可愛い名前、かっこいい名前・・・名前はそれはもう百花繚乱といった感じ。
 そりゃこれでこの子は一生この名前で呼ばれるんだから気合も入ろうというもの。
 みんな一生懸命考えた跡が忍ばれる。だからみんないいお名前。
 みんなからたくさん名前を呼んでもらって元気に育っておくれ。のちに著名人として名前が出たときに「あっ!この名前は」ってなことになったらうれしい。
 
 自分の子供達の命名の時もだいぶ考えた。画数とか口に出した時の語感とか読み間違えしないようになどあれこれ考えて最高の名前をつけたつもりだ。
 もちろん名前だけ良くしたからって当人の中身が良くなければってこともわかってる。
 ただ適当な名前つけてよくない人生を歩まれ「あ〜、もっといい名前つけとけばよかった」
と後悔はしたくないしね、ってことを父親から言われたことがあって非常に納得したので自分もそうした。
 あとは各々自分の力を出し切れるよう頑張っておくれ。
 
 そういう自分も、良い名前をつけてもらった。
苗字より名前が目立つのでずっと友達から「龍之介、りゅうのすけ」と「下の名前で呼ばれるから後輩から「ずっとあだ名かと思ってました」とか「苗字なんでしたっけ」とか言われた。
 自分の年代ではなかなか珍しい名前だったが最近割と見る。というかどうやら同姓同名が結構いるようなのである。
 ネットで名前を検索するとミュージシャンとか学生とかスポーツ選手とかどんどん出てくる。
 そういえば、何かの会合で名刺交換した時に「同姓同名の知り合いがいます」と言われたこともある。
 じつは僕の名前の画数がかなり良いのである。苗字1字に名前3文字で収まりも良いし付けやすいから多いのかな。
 同姓同名同士でどこかで一同に介してみても面白いか?
 
 先日芥川龍之介の手紙が見つかって自分の名前を間違っていると相手に怒っている内容で、その時の間違いは「介」が「助」になってたらしい
 
わかるわ〜
 
これは僕もよく間違えられるんだよな〜。
 
 あと「龍」が「竜」だったり「之」が「ノ」だったり、稀に読みでも「たつのすけ・・さんですか?」ってなんでそんな読み方するかな、なんてのもある。
 
 でも祖父の間違えが一番すごくて子供の頃遊びに行くといつも「おお、龍太郎ようきたの」と呼ばれてた。すごく可愛がられていたし、いちいち間違いを指摘するのもなんだったのでずっとそのまま「うん、うん」と返事してた。多分亡くなるまでずっと龍太郎と思われていたと思う。
 
 これからも皆さんどんな名前をつけて来られるか楽しみだ。

Beautiful boy

 この思い出は以前から頭の中を漂っていたが、なんとなくスルーしていた。今回書き上げた後もブログに上げるかしばらく悩んだが、まあ他言は無用、できればここだけの話ってことで(ネットに上げといて言うのもなんですが)
 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 
 さて世間の話題の一つは相変わらず新型コロナ感染である。
 そろそろ立ち会い分娩を再開したいが新規感染者数の減り具合が微妙で・・・(でもできるだけ早期に再開しようと思ってはいますのでもう少しお待ちください)
 社会全体は経済活動優先の方向にシフトしつつあるようだが、病気持ちの自分は感染予防が最優先なので引きこもり生活を継続中。
 
 今日も診療以外の空いた時間は寝てるか事務仕事などで過ごす。ながら作業が好きなので音楽を流しながらがいつものスタイル。さ〜てどんな曲にしようかとビートルズからスタートし、そこからポール・・・ジョージ・・・リンゴ・・・
ジョン・レノン・・・いいね!
 
 特によく聴いていたのは高校に入る頃
 親戚の家に遊びに行った時に(院内の刺繍作品はそこの人が製作したものです)ジョンの曲をエアーチェックしたカセットテープを聴かせてくれた。
 気に入ったと言ったらそのままカセットをくれたのでしばらくよく聴いた。 
 
 ジョンの曲はソロになってからは感情表現がストレートなのと、英語の歌詞が易しく意味を理解しやすいのが特徴かな。(哲学的なのもありますが)
 久しぶりだったがやっぱりいいねえ
 
 しばらく聴いていると
 あ、この曲
 
「Beautiful boy」
 
 う〜〜ん、この曲はずっと封印していたのだが・・・・・・
 ひさしぶりに覚悟を決めて聴くか!
 
 
 最初にこの曲を聴いた時の印象は息子ショーンへの想いを綴ったかわいい歌だなあといった程度だった。

 次に聴いたのは医師になってすぐの頃
 たまたま観た映画「陽の当たる教室」でのひとコマ。リチャード・ドレイファスが演じる主人公の音楽教師がコンサートで聾唖者である息子に歌う場面。息子にわかるよう手話を交えてゆっくりと語りかけるように歌うシーンは感動的で、まだ独身だったぼくの心に深く残った。
 ただその後は日々の仕事に忙殺されこの曲を聴く機会はしばらくなかった。
 
 
 結婚して初めての子供が生まれた。

 逆子だったが周りの先生に助けられ自分自身もドキドキしながら無事に経腟分娩。(今だったらもうやらなかったかも)
 いつも一緒に仕事していた小児科の先生方も立ち会ってくれ、低体重で色もいまひとつなので一応小児科で預かりましょう、となった。
 やれやれ無事終わったと医局で放心してると程なく「ちょっとお話が」と連絡・・・ん?
小児科病棟へ行くと先生曰く
「子供さんに心臓病があります。このままでは手術をしないと助かりません。ここでの管理は無理なのですぐ専門病院へ搬送します。」
 
・・・・・・ええっ!!!
 
 一瞬にして頭は真っ白になったが、自分はなにもできないまま息子は「あっ」という間に救急車で搬送されていった。(その当時は胎児超音波の中でも心臓はまだまだ一握りの専門医が診れるくらいだったし、自分はそれまで婦人科をメインにしていたせいもあるが診断をつけれなかったのはショックだった)
 
 最初はNICU管理だったので決まった時間に夫婦二人して会いにいく。
 たくさんのラインに繋がれた息子を見ると管理上そうすることは知っているのにやはりショックだ。
 少し抱っこさせてもらう時嫁さんは毎回目にいっぱい涙を溜めてる。自分はといえばずっと混乱した精神状態のまま呆然としていたと思う。(夢の中にいる様な感じだった)
 
 手術はできるだけ目標体重まで増やしてから行うという方針で、幸い息子の容態は安定していたので一般病棟に移ってしばらく手術待ちすることとなった。
 
 そこからがタイヘン!
 嫁は長い付き添い入院の生活が始る。
 自分は大学に転勤する事が既に決まっていたので仕事の引き継ぎや引っ越しでバタバタ。
 大学勤務後も環境に慣れるのが大変だし、産科の副病棟医長と医局執行部の仕事も兼任することになっていてバタバタ。
 それでも仕事の合間を縫ってこども病院へ車で行き、差し入れと少しの間付き添いを交代するが規則とかやり方がわからずバタバタ。(人見知りなので周りのお母さんに聞いたりなんてできない)
 この時期が一番ハードで体力、気力ともにかなりすり減っていた。(でも本当に大変だったのは嫁さんだったろうに愚痴一つ言わずに付き添いしてくれて申し訳なかった)
 
 そんなある日
 その日も面会を終えて夜遅くに自宅のマンションに帰り着く。灯りをつけると家の中は未開封の荷物だらけでなんとも殺伐としている。
この状況で何もせずにひとりぼっちはまずいぞ。ともかく何か曲でもかけて歌って気を紛らわそう。
 
 しばらく音楽に身を任せているとこの曲が流れてきた。
 
 南国の海辺を思わせるスティールドラムと波音が心地よく、穏やかな調べにのって息子に甘く優しく語りかけるジョンの歌声♪〜♪〜♪〜
 まだ幼い息子が健やかに成長していくさまを心待ちにする飾り気のない歌詞が一緒に歌っていると身体の芯までどんどん染み込んでくる♪〜♪〜♪〜
 
・・・・・・なんだか目頭が熱い
・・・・・・あれ涙が止まらない
 
 息子が産まれてから聴くとこの曲への共感度がこれまで聴いてきた時とは全然違う。我が子を思う親の気持ちは世界共通だなと妙に納得しながらも「こんなに泣くかね」と自分自身にあきれて独り言。
まあ止まらないならとことん歌ってしまえと何度も繰り返し聴き続けそのまま酒を煽って眠りについた。
 
 開き直ったのがよかったのかその後は気持ちが吹っ切れ、相変わらず色々大変だったが頑張れた。
  
 そしてようやく手術のゴーサイン。長かった〜
 手術当日は朝一番に入室。静かに搬入されるストレッチャーを夫婦で静かに見送った
「頑張れよ」
 手術は当然ながら大手術だった。(10時間近くはかかったと思う)
 遠くには行けないので夫婦二人して待合室にいたり交代で少し病室や院内をあてもなく歩いたり座って本を読んだり。会話もするが何も手につかない。昼食もどんな味だったか覚えてない。
 
 果てしなく長い時間を過ごし、窓からの景色が夕焼けから夜の帳が下りる頃になってようやく「手術は無事予定通りに終わりましたよ」との連絡。ホッ。
 妙に明るい廊下を医師、看護師に囲まれたストレッチャーが帰室時するときに遠くから少しだけ我が子を見ることができた。
 とても小さく見える我が子を誇りに思いながら「あいつよく頑張ったよね」と嫁さんに語りかけると少し口元を綻ばせ、またポロポロと涙をこぼしていた。
 こうして家族の長い長い1日は無事終わった。
 
 術後は幸い経過も良好で、だんだん息子も元気になってくれたので(顔色も良くなってきて初めて色黒じゃないんだとわかった)緊張していた心も徐々に和らいでいった。
 
 そしてついに!ようやく!退院。
 親子3人が揃って自宅で暮らせるようになったのは産まれてから約3ヶ月も経ってからのことだった。息子は産まれた直後からずっと病院だったので我が家へは初めての帰宅。
 家もやっと片付き、活気も出てきて平穏な日常を取り戻す中でその曲のこともふんわりと記憶の彼方へ。
 
 そんな息子も今は元気に県外でやっているが心配はしている。でも連絡したり帰省した時の会話は「元気にしてるか?」「うん」てな感じでそっけない。(素直に感情を表現するのはお互い苦手で・・・)
 
 とても大変だったが大きな経験をさせてもらったと思う。これを機に周産期については超音波などを含め懸命に勉強させてもらい、周産期専門医も取った。
 今でも妊婦健診の時はお腹の赤ちゃんの可愛い表情をお母さんと楽しみながら、でもその一方何かあったらどれだけ大変かは身をもって理解しているので異常がないかは常に気にかけている。そして病気が見つかった時にお母さんへ寄り添う気持ちも自身の経験が生かされているのかなと思う。
 
 なぜこの時期に話すかというと、実は長男は僕と誕生日が同じ2月生まれで今回の話はちょうどこの時期の出来事だったりする。
 
 自分が病気になってからは、この子と共に今年も一つ年を取れることがさらにうれしい。(もちろん、うちの子みんなにそう思ってる)
 
 みんな『健やかな明日でありますように』
 
 
 と言うわけでこの曲は涙なしでは聴けないし歌えなくなっちゃって・・・
 だから封印してたのに、結局ずっと聴いちゃったよ(他の人がいない時でよかった)
 
 またしばらく封印しておこう。
 
〜〜〜〜〜〜〜〜
 
 改めて文章にしてみると、いや〜こりゃ結構壮絶な体験だったような気がしてきたぞ。その当時は必死だったんでそこまで大変だと思ってなかった、というか考える暇さえなかったからなあ。

 最近はコロナによる世界的パンデミック、ロシアのウクライナ侵攻、先日東日本大震災から11年とつらく悲しい内容の報道が続く。
 これらに共通して意識したのは人とのつながり、特に家族の絆の大切さかな。
 人生は人災、天災など様々な理由でいつ何があるか分からないし今回の思い出はなんらかの形で残したいと思っていた。これまで家族を含め誰にも話したことはなかったが、このまま先延ばししていると永遠に機会を失ってしまうかもしれない。(もちろんそんな悲観しているわけではなく僕も家族もこの病院もまだまだずっと頑張っていくつもりですけどね)かといって面と向かって話しもできないし、というわけでブログの形にでも残しておこう。
 まあここだけの話しってことで(まだ言ってる)
 
 
(やれやれ、長文にしないようにと気を付けていたはずなのにいつの間にか文字数が
3,000字軽く越えちゃってるよ。歳をとると話が長くって・・・)

2022年2月22日のブログにゃ〜

 冬季五輪が北京で開催された。夏の五輪とあまり間隔が空いていないので「あれ?もう?」と言う感じだが、これもコロナの影響。(第6波もなかなか収まらないなあ)
 今回の冬季五輪の盛り上がりについては個人的にはこれまでスキーやスケートに接する機会がないので申し訳程度であるが、でも選手の頑張っている姿にはやはり感動した。
 スキー、スケートの華やかな演技も素敵だが個人的にはカーリングなどの方が派手さはないが興味ある。(といいながら先読みが深すぎてよくわかっていないのだが)
 
 2月は短いがいろいろ記念日がある。節分の日、建国記念日、天皇誕生日。
 あと今日は2022年2月22日で2が6こあるから今年は特別に『スーパー猫の日』なんだそうで、一部で盛り上がっている?らしい。
 僕個人も2月はいろいろな変わり目変わり目の月である。
誕生月でありそして治療開始月だったりする。(4年目突入しました。めでたい!)
 自分にとって年度の変わりのような感じ。また一つ年をとれる(!)ことに感謝しつつ、また次の1年も治療頑張ろうって感じか。
 
 体の負担を気にしつつ仕事している感覚は妊娠しながら仕事を頑張っている妊婦さんに通じるところがあって本当妊婦さんの大変な気持ちがよくわかる。
 だから外来では妊婦さんに
「妊娠は体に大きな負担をかけますし、また状況も妊娠経過とともに変化しているので今日が大丈夫だったから明日もおんなじ仕事量でも大丈夫ということは限りません。お腹がよく張るなど調子が悪いときには無理せず良い意味で手を抜く、休憩を挟むようにしてくださいね。」と話している。(無理しすぎて予定外に長期入院などになってしまってはお互い困りますよね。)
 
 コロナ禍になって妊婦さんに話してよく理解してもらえるようになったのが、
「一人で頑張るんじゃなくって人を頼りましょう」と言うこと。
 もう何年もコロナ禍で人と繋がりにくい日常が続いたのでお互いを思いやる大切さがわかってきたのかな。
 同じこともバラバラでやるより一緒にやった方が良いことの方が多いですよ。
 一緒にいれば喧嘩することもありますが「屁を放っておかしくもないひとりもの」なんて川柳もあります。喧嘩も相手がいなきゃできませんしね。
 
 当院でも妊婦さんの社会的問題や心のケアについても本格的に乗り出したところです。何かあれば相談乗りますよ。一緒に困難を乗り切っていきましょう。

Sing a Song

 さて新年も無事あけまして今年も病院スタッフ一丸となって頑張っていこうと言う気持ちでおりますのでよろしくお願いいたします。
 毎度毎度1月のブログ更新が遅くてすいません。理由にしたくないんですけどまた薬が変わっちゃって。
 
 世間では新型コロナの感染が令和4年となるのを待っていたかのように急激に増加し、山口県は早々に蔓延防止措置入り、その後もあれよあれよという間に新規感染者数は一気に増加し、蔓延防止措置も全国的に……(泣)
ああ、なんてことだ…(これなら年末忘年会やっときゃよかった、とはいいません)
 当院の立ち会い分娩も泣く泣く再度中止としました。
 また感染状況など総合的に勘案しながら早期再開を検討しようと思っていますので何卒ご協力のほどよろしくお願いいたします。(国会答弁のようですが)
 
 相変わらずの引きこもり生活なので自分自身としては音楽が欠かせない。
 今現在のリスニング環境はPCやノートパソコンに入れた定額配信(サブスク)アプリからの曲をスピーカーで流して聴いてるが、やはり早くて簡単!
 しかも大量の曲が定額聴き放題なので新曲などもどんどん聴けるし、音源自体が徐々にハイレゾに切り替わっているので音がとても良くなってきている。
 でも大量に聴けるからといって全然知らない曲や新曲ばかりにすると逆に心が落ち着かないので結局自分がこれまで聴いてきた曲を中心として、すこしずつ新しい曲を取り入れてく(若いものの曲を知っとくと言うわけではないが)ので十分満足。
 
 そして自分のもう一つの楽しみ方は一緒に歌うことだったりする。
 ともかく物心ついた時から(?)好きなアーティストの曲を流しながら一緒に歌うことをずっとしてきた。
イヤホンなんて昔は片耳だけ曲としては聴きずらかったし、イヤホンで聴きながら歌うと声のボリュームが上がってしまうのでスピーカーで曲を流しながら歌う方式が昔から定番。
 中高時代は勉強しながら曲をかけ、そして歌う。興が乗ってくると鉛筆叩きながら歌ってる(そのときは勉強そっちのけ)
 
 歌うことはとても良い気分転換になる。発声することがストレス発散になる。うまく歌えると満足感がある。とっても楽しい。そうしてずっと歌ってきた曲は歌詞を見ずとも大体歌えた。(今でも大体歌えるはず)
 周りに迷惑かからないようにと思っていたので昼間にだけ、ボリュームを落とした曲に合わせて小さな声で歌っていたが最初は気を使って歌っていても調子が乗ってくるとついつい声が大きくなる。
 母親からは後年「あんたの部屋から奇声がよく聞こえていた」と言われた(奇声はひどい)
 大学時代は6畳一間の下宿で6年間過ごしたが、隣との壁が薄いし、両隣とも先輩だったのでだいぶ気を使った。
 隣に先輩がいなのを見計らってできるだけ少し声で歌っていた。(つもりだったが、これも後年先輩から、お前の部屋からよく歌声が聞こえていたと言われ恐縮)
 医師になると家にいる時間は寝てるだけだし、病院じゃ歌えない。そこで出張(がん検診や他院への当直など)の行き帰りの車中で歌っていた。(そんなことするからさらに方向音痴がひどくなったか?)
 車は一人だけなので遠慮なく大声で歌えてよかったが、興が乗って大口開けて歌っていると時々対向車線の人と目があって気まずい思いをしたり、(慌ててあくびのふりしても後の祭り)時々笑われてた。しかしそれでも手で口元隠しながら目的地まで歌い続ける。そして到着時に曲が途中だと曲が終わるまで歌ってから降りていた。
 でも医師の新人時代はストレスが非常に多かったし、歌うことにはとても助けられたと思う。モヤモヤしたフラストレーションも盛り上がる楽しい歌を歌えば楽しく、スローテンポの切ない歌を歌えば切なく、これらを感情込めて歌うことで現実ではない自分に没入して嫌なことをその間だけ忘れさせてくれた。
 
 カラオケ屋に行けば良いではないかと思われるかもしれないが、みんなに聞いてもらいたいわけではなく、歌いたい曲を誰にも遠慮することなく力一杯歌うから良いのである。
 だからカラオケは自分の歌いたい曲が歌えないし、ずっと歌うわけにもいかないし、何よりいまでも人前で歌うのは非常に照れるので没入しずらい。
 ただ、カラオケで歌っていると昔から友達や他のお客さんからこんな曲も歌ってほしいとリクエストをもらったりする。そういう曲は歌ってみるとなるほど自分の声に合っているので新しい曲のレパートリーとなり、自分のお気に入りとして音楽の幅は広がのでその点はよかった。
 カラオケ好きな人にとっては気の置けない友達と遠慮なしに歌えるのはとても良いストレス発散場所だろう。ただ昨今はこれもコロナで感染源の一つと言われなかなか行きにくくなって残念なことだ。
 
 そして今現在はというと昔に比べると相当減ったがやっぱり院長室で時々歌ってる。(声が漏れない程度に)やっぱやめられないなこれは
 
 みんなそれぞれ好きな方法でこの閉塞感のある毎日をうまく乗りこなしてほしいと思う。

令和3年11月あれこれ

 ああ〜11月のブログも早めに書こうと思っていたが、隔週治療とのタイミングがうまく合わない。調子のいい時を狙って書こうとうかうかしてたらもう11月も下旬……治療メニューがちょこちょこ変わるので未だにペースがなかなか掴めない。(主治医に頼ってなんとか乗りこなしていますが)
さらに昔柔道やっていた影響で何年か周期で来る腰痛がちょうど治療日に重なってしまい数日まともに仕事もできないという体たらくで……(以上言い訳)
一応ピークは過ぎて今はちゃんと仕事はできています。
 
 新型コロナの新規感染者数は全国的に減少の一途を辿っていて嬉しい限りである。なぜここまで収まってきたのか明確な理由がわかっていないようだがやはりワクチンは有効だったようだ。ワクチン接種率も気がつけば世界トップクラスとなり、さらに3回目のワクチン接種も始まるようだし重症化対策として病床確保や経口薬の承認なども着々と進んでおり第6波に向けしっかり対策されていて良いのではなかろうか。
 
 しかし、しかし……諦めました、忘年会。だいぶ悩んだけど大人数の会を病院として開催するのは国内の心理状況を考えるとちょっと厳しい。
 さて代替え何をしようか?もう弁当とかGotoイートと色々かやり尽くしてて何も思いつかないぞ〜っと
 
 おめでたいこともある。
 宇部市は11月1日に市政100周年記念を迎えた。式典もあり(出席者は制限されたようだが)、自衛隊による祝賀飛行があり、夜は花火が上がったそうだ(治療当日で倒れていたので僕は見ていないが、でもめでたい!)
 これに伴った企画で藤井聡太3冠が市内のホテルで竜王戦を行い4冠達成!これでまた全国区のニュースに宇部市が載るなんて宇部市は持ってるなあ。
これからの宇部市100年がまた盛り上がっていってくれたら良い。
 
 当院の動きとしてはちょっと報告が遅くなりましたが浜通り側の看板が古くなっていたので新しくしました。夜になるとロゴ自体が後ろから照らされて浮き上がって見えてかっこいい。暗い時間の目印にどうぞ。
 
 またこの連休で院内の床や壁の一部を張り替えました。診察室もだいぶ印象が変わって気持ちも上がります。LDRの畳も張り替えました。いい感じです。
 産婦人科はお産入院が予測不能なのでリフォームがちょっとづつしかできませんが今後もどこかしらちょっとづつ変えていきます。
 

 

 
 あと開業当初から続けてきました相談メールを辞めることにしました。
 これまでいただいたのべ相談件数は約42,000件。(自分でもびっくり)
 いろいろな質問をいただきましたが、やはり病院でなかなか聞けない質問がメインで、僕も気がつかない心配をみなさんされているんだなあ、と気づくことも多くぼく自身も大変勉強になっていました。お礼のメールをいただいたり、この相談がきっかけで当院までわざわざ来院された方もおられ、すこしは悩んでいる方の役に立っていたのかなとは思っています。
 きっかけは最近スタッフとの話し合いで、以前から電話相談がよくくるとの報告はあり、ずっと当院通院中の患者さんからだとばかり思っていましたが、今回よく聞いてみると違うようで。
 相談はメールだけのつもりだったんですが、電話相談も受け付けていると思われる方が結構おられ、(もちろん当院通院中や里帰りの方の電話相談は受け付けているのですが)県外からの電話がかかったきていたようです。(実際いただく相談メールの約9割も県外の方でした)
 最初はホームページの説明が誤解を招いていたようなので変更したそうですがその後も電話相談は続き、業務にかなり支障をきたしていたようです。
 流石にそれはスタッフに申し訳ないということと自分自身も体調が不安定のため回答の時期が遅れたり、回答内容にもばらつきがあるのではないかと以前から気にしていることもありメール相談を辞めることにしました。突然ですいません。
 
 ただこのまま完全に辞めてしまうのもなんですので、
今後通院中の患者さんで急を要さないけど相談したいことがある方を対象にするなどなんらか別の形では再開しようとは思っています。
診療はこれまで通りやっていますのでよろしくお願いいたします。
 
 だんだん寒くなってきてうちの子供は朝起こしてもしばらく布団の中で蛹化したままなかなか動かない。早く羽化して学校に行く準備してくれ〜。(でも昔は自分もこんな感じだったなあ)

お風呂

 師走に入ると毎年何故か忙しくなる、はずだが忘年会が全くないのでゆっくりする時間が多く年末という雰囲気をなかなか感じにくい。院内のクリスマスツリーとクリスマスソングがうっすらと年末を醸している。
 ただ急に寒くなってきたし冬は実感する、身体には注意。コロナもオミクロン株が急速にデルタ株と置き換わっているようでこの冬第6波のきっかけとなるかも知れず予断は許さない。インフルエンザのこともあるので引き続き三密回避、手洗い、うがい、マスクは必要だしさらにワクチン接種もした方がいいな。
 
 寒くなってくると風呂がありがたくなってくる。流石に子供と一緒に入らなくなったので一人ゆっくり入る。湯船に「う〜〜っ」唸りながら入る。(年寄りくさい?いやいや)
あったか〜い。血液が抹消に流れていく感じではあ〜生き返る。
十分あったまって風呂を上がる。「さあお前たちも早く風呂にお入り。」
うちの娘二人がお風呂へ入っていった。
 
 いや〜今のお風呂は暖かいからいいね、と自分子供時代と比べてそう思う。
昔住んでいた家は自分が幼稚園の頃引っ越してきたが、その時点で既にとても時代が経っていたため(控えめな言い方)冬は大変寒かった。
 特に冬の風呂はとてつもなく寒かった。小学校頃にリフォームするのだがそれまで風呂釜は五右衛門風呂。窓がサッシであるはずもなく浴室の床がコンクリート地に小石が敷き詰めてあったがこれがまた超絶冷たい!
 ヒートショックの心配どころではなく下手すると凍死しそうなほど(ちょっと盛りすぎ)外とほとんど変わらない浴室だった。
 さらに一番風呂は最悪で脱衣所で裸になるとまず一息ついて気合を入れ浴室に入る。冷たい床を爪先立ちで小走りに(そこまで広くないが)風呂釜に駆け寄り蓋を開けて、まずお湯を床に撒いて温める。まずこれで足を床につけられる。
 次にお湯は沸きたてだから熱すぎるが、ここで慌てて水でうめてはいけない。風呂の底はまだ冷水だからかき混ぜて均一になったら初めて身体にかけ、そして湯船に浸かる。(とても先に体は洗えない!)
 これでやっと温まってホッと一息。そして十分温まってから浴槽に出て体を洗う。そして再度湯船にじっくり浸かる。
 今の風呂に子供と一緒に入っていた頃は早く上ろうとする子供たちに「100まで数えなきゃあがっちゃダメ」なんて言っていたがその当時は寒すぎて芯まであったまらないと上がりたくても上がれない。
その後リフォームされて風呂の暖かさを身をもって知ったのでありがたさが良くわかる。
 などど回想していたらなんか風呂場から二人の楽しそうな歌声が聞こえてくる……
 やれやれ合唱してる……
「もう遅いんだから早く上がれ〜のぼせるぞ〜」
 
今年も多くの方に大変お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

柳家小三治さんを偲ぶ

 先日柳家小三治さんが亡くなられたとのこと。非常に残念である。
 とても好きな落語家さんの一人だ。
 以前ブログに書いたラジオに入り浸っていた学生時代に小三治の落語を聴いていてファンになった。あの当時が一番脂が乗り切っていた時期でリアルタイムで聴けたのは幸せであった。
 
 見た目は目がぎょろっとして痩せていて体つきは少し筋張っていて不貞腐れたような顔してると一見怖いように思うが話し方や所作は非常に穏やかで、特に枕の話し方はとてもほんわかしていて優しい。
 またその枕が趣味の切手収集のことなどを題材にしたりと独特なものが多かった。
 手紙に貼られた切手を水で剥がして乾かしてたらどっか飛んでっちゃってそれを「どこいったかな〜?」と探すのも切手趣味、
なんて人を喰ったような内容だが聴いていると客席全体もフワ〜っとした雰囲気に飲み込まれていって優しい笑いに包まれる。
 演目も子供にも分かりやすいような滑稽噺が得意で「時そば」「初天神」なんてド定番のものも好んで演られていたようだ。
 また「野ざらし」での湯屋番で番台に上がった若旦那が妄想全開でひとり盛り上がっていくところのテンションの異常な高さや「道具屋」での与太郎のとことんまでボケ倒すところもとても心地よく、やり方によってはただのお間抜け、変わり者になってしまうところを小三治が演じるととても愛おしくかわいく感じらキャラの気持ちに共感してしまう。キャラに対する深い愛情を感じる芸だった。
 ずっとふんわりするだけかと思うとさにあらず、「大工調べ」では大工の棟梁が大家に取られた与太郎の大工道具を取り返すために啖呵を切る場面があるが、これがまたとてもキレがあって小気味いい。江戸っ子のべんらんめえ調がここち良かったな〜。
 
 その当時あんまり気に入ったので大学の入学祝いで親戚とかからもらったお金を全て注ぎ込んで(貰った方には大変申し訳ないが)落語のカセットテープを買い込み大学入学までの間は繰り返しずっと聴いてた。(その後大学時代もちょこちょこ聴いてた)
 まだテープはどこかにあるはずなので、これまたどこかにあるカセットデッキと一緒に家を掘り返してじっくり聴き直してみようっと。

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